夏目漱石の葬儀の受付は誰?

雑学

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芥川龍之介~!!

夏目漱石と芥川龍之介の出会い

二人の文豪の出会いは、夏目漱石晩年の1915(大正4)年末。芥川が翌年に発表した『鼻』を夏目漱石がメチャクチャ褒めたことが若き芥川を作家への道へと突き進めさせたといわれています。芥川は漱石を紹介されたとき、緊張のあまりガタガタと震えたらしいです。年齢差は25歳、しかも大作家ですから雲の上の存在だったのでしょう。

芥川は『鼻』の前には『羅生門』を発表していましたが、以後『地獄変』『藪の中』『河童』などを次々と発表し、日本を代表する小説家となりました。

芥川、夏目漱石先生に猛烈アタック!!

国語の教科書にそれぞれ作品が掲載されるほどの文豪ですが、作家同士の交友関係とかはほとんど学ぶことはないので興味深いです。
その後、芥川は漱石に何度も手紙を送ったそうです。漱石はそんな芥川の純粋さに心を動かされて、芥川の身の上相談も親身に聞いていたといいます。芥川は親身に話を聞いてくれた漱石のやさしい微笑みを生涯忘れることはなかったといいます。

多くの門下生に囲まれた巨星堕つ

夏目漱石の臨終は1916(大正5)年12月9日。持病の胃潰瘍が死因でした。夏目漱石の葬儀で受付をしたのが自らかって出たのか、周りに推されたかは不明ですが、芥川龍之介。漱石には古くからの弟子で物理学者として大成した寺田虎彦(「天災は忘れたころにやってくる」の言葉で有名)など、多くの門下生がいました。

夏目漱石の門下生と聞くと、皆文学を志し、小説家として大成しているのかと思えばそうでもないのです。非常に幅広い分野で大成した門下生を多く輩出しています。漱石の才能もさることながら人柄が大きな要素だったのでしょう。葬儀の受付は芥川のほか、和辻哲郎(倫理学を確立)や久米正雄(流行作家として成功)も務めました。

芥川による漱石の葬儀の回想

漱石の葬儀のことを芥川は、翌年3月の雑誌『新思潮』に「葬儀記」として回想しています。

前日の新聞に葬儀の時間が間違って出ていたので(オイオイ!)、参列者は少ないだろうと芥川は予想していましたが、「実際はそれと全くの反対」で、「僕はいろんな人の名刺を受け取るのに忙殺された」とあります。このエピソードはいかに漱石が周りの人から好かれていたかを物語ります。今ではないと思いますが、当時の葬儀では参列者が名刺を渡していたんですね。


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ちなみに、漱石の死にざまは穏やかではなかったようです。漱石は「死ぬと困る!」と叫んで胸をはだけ、「ここに水をかけてくれ!」と叫んだかと思うと意識を失い、そのまま息を引き取ったといいます。


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