信楽焼(しがらきやき)といえば、なぜタヌキなのか?

文化

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昭和天皇が「いいね」をしたから!!

信楽焼と聞いたら真っ先に思い浮かべるのがタヌキ

お店の前においてある意味

「信楽焼」と聞いてまず頭に浮かぶのが「タヌキ」。
お店の前にデカいのが置いてあることも多いですよね。ちなみにお店の前に置いてあるのは「タヌキ」が「他抜き」に通じるかららしい。要するに商売繁盛のお守りみたい。
隣の一人暮らしのお婆さんの玄関前にも置いてある…理由は謎(笑)

信楽焼は日本六古窯の一つ。

さて、本題。信楽焼は日本六古窯(にほんろっこよう)の一つ。

  • 瀬戸焼(愛知県瀬戸市)
  • 常滑焼(愛知県常滑市)
  • 越前焼(福井県丹生郡越前町)
  • 信楽焼(滋賀県甲賀市)
  • 丹波立杭焼(兵庫県丹波篠山市今田町立杭)
  • 備前焼(岡山県備前市伊部)

丹波立杭焼以外は聞いたことがありますが(丹波立杭焼の関係者の方、ごめんなさい!)、違いはわかりません。いつか違いの分かる男になりたい!

信楽焼はタヌキだけではない

信楽焼はもちろん、タヌキだけではありません。もちろん、鑑定団にでてきそうなのが主流です。湯呑とか茶碗とか。

タヌキのおなかをたたく姿に魅せられて…

藤原さん、タヌキとの運命の出会い

信楽焼そのものの歴史は鎌倉時代までさかのぼるようです。

タヌキは昔話では悪役が多いような気がするのですが…。

タヌキの置物は明治時代に陶芸家の藤原銕造氏が作ったのが始まりだといわれています。藤原さんはある月の夜、ポンポコポンとおなかをたたくタヌキを見たそうです。(本当にやるんだ!)

その姿に魅せられた(!)藤原さんは、そのタヌキの姿を信楽焼でリアルに作ろうと決心。 京都の清水での修行を終えて、信楽に定住してからガチでタヌキづくりに没頭します。信楽焼は大きな陶器が得意なため、等身大のタヌキを次々と誕生させました。タヌキのフィギュアかな?

そして運命の日は訪れた…in信楽

昭和天皇の行幸

1951年(昭和26年)、昭和天皇が信楽町を行幸。その時、たくさんの信楽狸に日の丸の小旗を持たせ沿道に設置したそうです。こんな感じかな?

誰かが「日の丸もたせようぜ」って言ったんだろうなぁ~。

昭和天皇感激!

昭和天皇は、その風景に感動したあまり歌を詠み、その逸話が新聞で報道され有名になり全国から注文が殺到!

をさなきとき あつめしからに なつかしも
しからきやきの たぬきをみれば

このことにより、信楽焼=タヌキの置物となったようです。

…余談…

今でこそ信楽焼のタヌキは「かわいい」という印象ですが、初号機は野性的でリアルだったらしい。野生のタヌキは結構怖い。キツネ目!

置物は徐々にかわいらしく変態をとげましたが、最初に整形されたのが鼻。とんがった鼻をつぶしたそうです。理由は配送するときに折れるから(笑)


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